Lala
その日はあいにく激しい雨が降り続いていて、傘もないボク達は半ば途方に暮れながら薄暗い町の中を歩いていた。
宿を探しているのだけれど、視界がはっきりしなくてどこに何があるのかよくわからない。
誰かに尋ねようにも、この天気では道を歩いている人さえ見当たらなかった。
せめて野宿だけは勘弁したいな、などと考えていると、ボク達より少し前方にある横の細い脇道から、何か黒く小さいものがつつつ、と出てきた。
なんだろう、と目を凝らして見ると、向こうも立ち止まって金色の瞳を光らせながらこっちをじっと見てきた。
「あ、ネコ」
ボクはいつもの癖ですぐにそっちへ駆け寄ろうとしたけれど、隣にいる兄さんを見て思わず足が踏みとどまってしまった。
きっと拾っても、どうせまた『元に戻せ』って言われちゃうよね。
けれど、目の前にいるネコは雨でびしょ濡れになっており、いかにも寒そうだ。
僅かに震えているようにも見える。
現状と理性との間で葛藤しながらどうしようか躊躇っていると、ふいに兄さんが黙って歩き出した。
早く行くぞということなのだろうか、などと思っていたら、兄さんは意外にもネコの方へ吸い寄せられるように近づいていった。
どんなに迫っても、ネコはおとなしくじっとしたままだ。
兄さんはネコの前までくると立ち止まってしゃがみ、そのまますっと静かに抱き上げた。
そこまでの一連の動作を見守っていたボクは、はっと我に返って慌てて兄さんの元へ駆け寄る。
「どうしたの、兄さんからネコを拾いに行くなんて珍しいじゃない」
いつもはボクがこっそり体の中に隠しては、バレる度にどんなにお願いしても「捨てて来い」の一点張りの兄である。
一体どういう心境の変化だろう。兄さんが気まぐれなのはいつもだけれど。
とは言え、兄さんがそうした反応を示してくれるのは正直なところとても嬉しい。
「……オレが無視したってどうせお前が拾うだろ」
兄さんはネコに視線を落としたまま、ぶっきらぼうに答えた。
その様子が、なんとなく少し照れてるようにも見える。
「はぁ、まあそうだけど」
「アルが捨てネコに余念がないのは百も承知だ。こんな雨の中で捨てる捨てないの言い争いをするのはごめんだからな」
真っ先に怒鳴りだすのは常に兄さんの方だと思うけど、と言いたいのはぐっとこらえて。
ボクだってちゃんとわかってるよ。兄さんは決していじわるで捨てて来いって言ってるんじゃない。
兄さんは本当はすごくすごく優しい。
だって、忘れられないんだ。
幼い頃、独りぼっちで震えていた捨てネコを飼ってもらえるよう必死に母さんに頼んでいた姿を。
ボクがドアの隙間からそっと覗き見た兄さんの姿は、まるで自分の方が捨てネコみたいに小さくて頼りなかった。
雨がやんで仕方なく元の場所へ戻しに行った時、兄さんは覚えたての錬金術で小さな籠と毛布を作ってあげたよね。
まだ形を変化させるくらいしかできなかったボクは、ほとんど何もしてあげられなくて悔しかったのをよく覚えてるよ。
それにしても、こうして兄さんがネコを抱えてると本当に可愛いなあ。
真っ黒な毛に、金色の瞳。
ちょっと兄さんに似てる気がする。
まるでネコが2匹寄り添ってるみたい、というのも、今度こそ暴れ出し兼ねないのでなんとか飲み込んだ。
「でも兄さん、そのネコどうするの? ただでさえボク達困ってるのに、その上捨てネコの面倒なんて……」
いつも兄さんに散々言われている台詞を、今度はボクが言い返す。
普段とは全く逆のその光景にちょっと可笑しくなった。
兄さんごめん、この台詞、言ってる方が一番苦しいね。
「わーってるよ! ……で」
「で?」
「お前はどうしたい」
「どうしたいって、兄さんが拾ったんじゃない」
兄さんはそこで思わず言葉に詰まってしまった。
もう、無鉄砲なところは相変わらずなんだから。
ネコの前に兄さんの世話の方が大変だよ。
そこでふと、ネコの首に何かが巻かれているのに気が付いた。
「あ、兄さん、このネコ首輪付いてるよ。同じ黒だから気づかなかった」
「おう、本当だ。飼い主がいるんだな。……ん? なんだこれ」
顎の下辺りの首輪に、折りたたんだ紙のようなものが結び付けてあった。
雨に濡れてやわやわになっているのを、破らないよう気をつけながらそっと引き抜く。
広げて見ると、黒いインクで何か短い文章が書かれていた。
滲んでほとんど消えかかっている。
それでもなんとか見える文字を拾いながら読んでいった。
「『このネコを……った方は、ご迷惑……すが3番通り……シュライバー……までお願い……ます』……ここへ届けろって事か?」
「捨てられたわけじゃないみたいだね。ひょっとすると迷いネコ?これ、飼い主さんかな」
「……にしたっておかしくねぇか。もし本人なら何でわざわざいなくなる前にこんなのつけとくんだよ」
「うーん。それもそうだねぇ……。とりあえず、このシュライバーさんって人の家に行ってみようよ」
「ああ。3番通りってどっちだ?」
顔を上げ、近くに看板がないかときょろきょろ見回した。
すぐ傍の柱に、『5番』と書いてあるのが目に入る。
「ここからすぐみたいだよ。多分もう少し東の方だ」
「よし、行くか。当てもなく彷徨い続けるのはもう飽きたしな」
確かに、思えばもう1時間以上街の中をぐるぐるまわっている気がする。
今はとにかく何でもいいから目的地が欲しい。
ボクはネコがこれ以上雨に晒されないよう鎧の中にしまい、家の間の細道を抜けて急ぎ足で3番通りへ向かった。
たった一瞬の出会いだと思っていたんだ。
それが、あんな別れ方をするようになろうとはこの時知る由もなかった。
続く
2006.4.18 夕海愛音