幸福はいつでも貴方と共に
「人体錬成って、やっぱりダメなのかな」
机の上に置いた一枚の構築式の紙を目の前にして、アルフォンスが唐突に言った。
その夜は二人とも、いつものように暗がりな部屋で小さな灯りを頼りに大量の文献や資料を読み漁っていた。
それまでお互い本に集中しきっていて長く沈黙が続いていたが、アルフォンスの声でハッとエドワードの意識がこちらに戻った。
「……どうした?」
エドワードは、たった今アルフォンスが発した言葉を不審に思った。
母親を錬成したあの悪夢のような日から、二人はいくつもの研究を重ねて人体錬成が不可能である事を悟った。
更に、唯一にして最大の希望の手立てであった賢者の石も、その材料を知ってしまった後は絶対これ以上足を踏み入れないと誓った。
それ以来、人体錬成の話題には一切触れていない。
今は他の方法を必死で探しているのだ。
無謀だと心のどこかで判ってはいても、やるしかなかった。
「おい、諦めんのはまだ早いぞ。オレたちはもうそのことは……」
「そうじゃない」
鎧のガチャンという音をさせながら、アルフォンスが勢い良く振り返ってエドワードの言葉を制した。
その瞬間机の上にあった紙がふわりと宙を舞って、床に座っていたエドワードの前に静かに落ちた。
「違うんだ。そうじゃなくて」
「なんだよ?」
アルフォンスは少しの間黙っていたが、やがて俯きながら躊躇いがちに切り出した。
「兄さんがスカーに殺されそうになった時から、ずっと心に引っかかってたんだ。……もし兄さんが殺されたら、ボクはどうするかなって」
アルフォンスの声が微かに震えていた。
エドワードは何も言わず、ただじっとアルフォンスに耳を傾けていた。
その様子を確認すると、アルフォンスは更に言葉を続けた。
「今日ね、夢を見たんだ。いや、眠れないボクが夢なんて見るはずないから、きっと幻影か何かだと思うんだけど。特別静かな夜とかに時々あるんだよ、こういうこと。でさ、その夢で……」
「オレが死んでた?」
アルフォンスが最後まで言い終わらないうちに、エドワードは予想していたかのようにつとめて冷静に言った。
アルフォンスは一瞬言葉につまり、やがて静かに頷いた。
「それでやっとわかったんだ。兄さんがいなくなったら、ボクはきっと兄さんを作ろうとすると思う。できないってわかってても、必死でその方法を探すと思う。……でもこれって、やっぱりいけない事だよね」
「アル……」
「わかってるよ、わかってる。沢山の人の命を犠牲にして兄さんを蘇らせたって、ボクも兄さんも幸福になんかなれない。また罪を背負うだけだ」
ふと、アルフォンスが床に落ちた構築式の紙に目をやった。
エドワードもその視線を追うようにして同じ方を見た。
「だからこそ怖いんだ。兄さんを罪の存在にしてしまうのが……自分で罪にした兄さんを抱えたまま、もう一度ひとりぼっちになるのが」
二人ともしばらく紙を見つめたまま動かなかった。
するとエドワードは急に立ち上がって、椅子に座ったまま横を向いているアルフォンスの方へ歩み寄った。
少しだけ屈んで目線を合せ、左手で銀色の頭を優しく撫でる。
「そんなこと心配してたのか」
「そんなことって……だって!」
「そんなことだよ。おまえはそんなの何も心配しなくていい」
「でも……もし……」
「……バカだな。オレがアルをおいて先に逝っちまうとでも思ってるのか」
「え……にいさ……」
「オレはアルをひとりぼっちにしたりなんかしねえよ。おまえの為なら死に物狂いで生きてやるし、今もそうやって生きてる。そうだろ?」
「そう……なら嬉しいな」
「なんだ、疑うのか」
「だって、そうだとしたら最高すぎるもん。兄さんといられることが何よりの幸せだから……」
「上等だ。だったらその幸せの為に、生きる事だけを考えるんだな」
「うーんと、それってつまり『オレのために生きろ』ってこと?」
「さあな。おまえの幸せはおまえが一番わかってるだろ」
エドワードは屈んでいた腰を上げたかと思うと、そのままアルフォンスに寄りかかるようにして両腕で抱き締めた。
アルフォンスの目はエドワードの体で塞がれ、何も見えなくなった。
ただエドワードの静かな息遣いと、この身体では感じようのない温かみが確かに伝わってくるのがわかった。
「ねえ、もしボクがそうやって生きたら、兄さんも幸せになるかな」
「……当たり前だろ」
「うん……」
エドワードは腕に力を込めた。アルフォンスもエドワードの小さな背中に優しく手を廻した。
「兄さん」
「ん?」
「一緒に生きようね」
「おう」
抱き締め合ったまま、エドワードはアルフォンスの頭にそっとキスを落とした。
アルフォンスが微かに笑ったような気がした。
2006.6.15 夕海愛音