サウンド・アライブ






ああ、またか。
汽車を降りて、中央駅の雑踏の中。
人混みでのこの状況は、自分でももうすっかり慣れっこになったつもりでいた。
厳つい鉄の塊が歩く度に発するガシャガシャという音に、周囲の人が驚いて次々と振り返る。
なんでもない。いつものことだ。
何も気にしない振りをしながら、ただ淡々と歩いていく。
こういう時、自分が表情のない物体であることをつくづく有難いと思った。
好奇、軽蔑、慈悲、畏怖。
突き刺すように向けられるいくつものその目は、もはやアルフォンスにとって何の意味も成さない。
だが、そんな割り切った気持ちの中にも、一つだけ毎度拭い去る事のできない不安があった。


エドワードは、アルフォンスの数歩先を真っ直ぐに行っている。
今に限った事ではなく、こうした状況の中では常にそうだ。
足早に、決してこちらを振り返らない。
ただでさえ小さな身体が、離れているせいで余計に小さく見えた。
いつしかアルフォンスは、ひょっとしてエドワードがそうやって先を急ぐのは、こんな姿の自分と歩くのが恥ずかしいからなのではないかと思うようになった。
2m近くもある鎧と並んでいれば、当然同じように周りの特異な視線を浴びる事になる。
エドワードはそれを避けるために、わざと関係ない人の振りをしているのだろうか。
確かにアルフォンス自身、自分の特殊な身形のせいで、兄を見ず知らずの人たちの好奇の目に晒すような事はしたくなかった。
自分がどれだけ世の中から浮いた存在としてみなされようと、兄にまでその思いをさせるわけにはいかない。
それはアルフォンスのみならず、兄弟がお互い常に念頭においてきたことだ。
しかし、これだけしっかり心積もりをしているにも拘わらず、ああして離れて進むエドワードの後姿を見ると、どうしても胸が痛み、寂しさが襲った。
「待って」というたった一言が、なぜか言えない。
せめてこの大きな足音さえなくすことが出来たら、周りが気づいて振り返る前に静かに通り抜けていけるのに。
静かな場所に出ればエドワードも立ち止まって、笑ったりしながらいつものように接してくれるのだが、こうして小さな後姿を追っている間はどうしようもなく心細かった。
耳障りな足音。
たったそれだけのことだったが、自分が発しているのに自分にはどうすることもできないというジレンマのせいで、いつしかアルフォンスをとてつもなく苛立たせていた。


「アルーっ! 早く来いよ!」

ようやく人混みを抜け、落ち着いた通りに出たところでいつものようにエドワードがアルフォンスを呼んだ。
身体ごと振り返り、アルフォンスに向かって大きく手を振っている。
アルフォンスは急ぎ足で追いつき、黙ったままエドワードの隣に並んで歩き出した。
相変わらずガシャガシャという音はアルフォンスが一歩踏み出す度に鳴り響いた。
気になってエドワードの横顔をちらっと盗み見たが、彼の方は特に気にしている様子はない。
それでもアルフォンスは、なんとかこの音を消したいと思った。
そこで、どうしたら少しでも和らぐだろうかといろいろな歩き方を試してみた。

かかとからそっと。
トシャン。
爪先で忍び足。
カシャン。膝ごと上げて静かに下ろす。
ドン、ドン、ドン。
そうこうしているうちに、弟がそんな悪戦苦闘をしていることなど露知らず、横からエドワードがおもむろに話しかけてきた。

「大佐んとこにこの書類届けたら、さっさと宿で休もうぜ」
「うん」
「っとその前にグレイシアさんにも挨拶に行かなきゃな」
「そうだね」

返事をするも、今アルフォンスは自分の足音を消す事に集中していて、エドワードの言葉はほとんど耳に入っていなかった。
しかし、どれだけやっても無駄だった。
音が微妙に変化するだけで、少しも抑える事はできない。
慣れない動作をするあまり、時々よろめいたり転びそうになる。
やはりどうしても無理なのだろうか。
アルフォンスは急に、この身体ごと全て投げ捨ててしまいたくなった。
同時に、自分がとてもみじめだった。
こんなことで悩む人なんて、誰もいるわけない。
もっと人間らしい悩みならまだよかったのに……。

「アル、どうかしたか?」

いつもより遅れ気味なアルフォンスに気づいて、エドワードが立ち止まった。

「急がないと日が暮れちまうぞ」

エドワードが右手で手招きし、再び前を向いて歩き始めた。
アルフォンスは一瞬、正直に言った方がいいのかどうか迷った。
アルフォンスが今気にしている事など、自分以外の人間にとっては取るに足らない悩みだ。
それに、もし本当にエドワードが街の中で鎧の自分を連れて歩くのを嫌がっていたとしたら……。
あらゆる不安がアルフォンスの心を蝕んで、半ば混乱状態に陥った。
けれど同時に、この事を一人で抱えていたって何も解決しないだろうということもわかっていた。
この不安を消し去るには、やはり直接話す以外方法はないのかもしれない。
アルフォンスは思い切ってエドワードの背中に問いかけた。

「兄さん、ボクの歩く音ってうるさくない?」

アルフォンスの唐突な質問に、エドワードは一瞬怪訝そうな顔をして振り返った。

「ボク、この足音のせいで周りの人みんな驚かせちゃうし、変な目で見られるし……。それで兄さんにも迷惑かけてるんじゃないかって思って」
エドワードはしばらく何も言わなかった。
アルフォンスはドキドキしながらエドワードの言葉を待った。
こんなドキドキ感は二度と味わわなくていいと思った。
ついにエドワードが口を開いた。

「オレは、その音好きだけどな。お前がちゃんとそこにいるってわかる」

エドワードが空を見上げた。小さな鳥と大きな鳥が2匹連なって飛んでいた。

「だから、どんなところでも安心して前を歩けるんだ。アルは昔っからちょっと目を離すと迷子になってばかりだったからな」

エドワードは再びアルフォンスを見て笑った。
そして、「ついて来い」と目で合図すると、踵を返して前へ進んで行った。
さっきまでずっと遠くに感じていたエドワードの背中が、急に大きく見えるようになった。
離れていくように思えた背中が今は自分を導いている。
アルフォンスは、たった今散々悩んでいたことがとても馬鹿馬鹿しくなった。
兄はいつだって自分のことを思っていてくれていたのに、それを少しでも疑った自分を恥じた。

(兄さんがくれた足じゃないか。大事な大事な、ボクの足。ボクが歩かなくてどうするんだ)

アルフォンスは心の中で「ごめんね」と言ってから、小さく「ありがとう」と呟いた。
そして、大地に響かせるように堂々と一歩を踏み出した。


貴方のために、ボクは今日も歩こう。





2006.6.17 夕海愛音









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